「関式サロン露出計」は,第二次世界大戦前の1938年から発売されている計算盤式露出計である。少なくとも,1940年ころと1948年ころの2回にわたってモデルチェンジがされてきた。これらにはとくにモデル名などは与えられていなかったようで,本体にも広告にもモデル名を示すような文言はみあたらない。 1950年には「「関式サロン露出計UA型」として全面的なモデルチェンジがされ,「UA」というモデル名がつくようになった。このモデルチェンジでは,それまでの円形から少し角のついた形態に変更されている。この基本的な形態は,のちのモデルにも引き継がれていき,1951年には「関式サロン露出計UB型」にモデルチェンジされた。UA型からUB型へのモデルチェンジでは,特許出願中だった「時刻盤の設置」の特許を取得したことが大きな変更点になっていると考えられる。 UB型は,少なくとも2回のマイナーチェンジがされている。つぎに大きな変更が見られるのが,1954年に発売された「関式サロン露出計VA型」となる。このモデルではあらたに「高速シンクロフラッシュ」に関する実用新案が出願されており,それに関係する目盛が追加されている。
ここで紹介する「関式サロン露出計VA」は,右上の画像にあるように外箱および取扱説明書がセットになった状態で入手した(表紙の大部分は破れて失われていたので,UB型のものをコピーして修復している)。この取扱説明書は,「1954年6月15日」発行の「改訂42版」であるが,このほかに「1954年4月15日」発行の「改訂40版」の存在を確認している。一方で,関式サロン露出計の発売元である玄光社が発行する書籍で,1954(昭和29)年2月10日発行の「密着の実技」(田辺良雄)(*1)に掲載されている広告では,まだUB型が紹介されている。これらのことからは,「関式サロン露出計VA」の発売時期は,1954年4月ころと考えられる。
*1 「密着の実技」(田部良雄,玄光社,1954年) (国立国会図書館デジタルコレクション) →https://dl.ndl.go.jp/pid/2466657/1/62
「関式サロン露出計」は,第二次世界大戦前の1938年から発売されている計算盤式露出計である。少なくとも,1940年ころと1948年ころの2回にわたってモデルチェンジがされてきた。これらにはとくにモデル名などは与えられていなかったようで,本体にも広告にもモデル名を示すような文言はみあたらない。
1950年には「「関式サロン露出計UA型」として全面的なモデルチェンジがされ,「UA」というモデル名がつくようになった。このモデルチェンジでは,それまでの円形から少し角のついた形態に変更されている。この基本的な形態は,のちのモデルにも引き継がれていき,1951年には「関式サロン露出計UB型」にモデルチェンジされた。UA型からUB型へのモデルチェンジでは,特許出願中だった「時刻盤の設置」の特許を取得したことが大きな変更点になっていると考えられる。
UB型は,少なくとも2回のマイナーチェンジがされている。つぎに大きな変更が見られるのが,1954年に発売された「関式サロン露出計VA型」となる。このモデルではあらたに「高速シンクロフラッシュ」に関する実用新案が出願されており,それに関係する目盛が追加されている。
「関式サロン露出計」のおおまかな分類
ここで紹介する「関式サロン露出計VA」は,右上の画像にあるように外箱および取扱説明書がセットになった状態で入手した(表紙の大部分は破れて失われていたので,UB型のものをコピーして修復している)。この取扱説明書は,「1954年6月15日」発行の「改訂42版」であるが,このほかに「1954年4月15日」発行の「改訂40版」の存在を確認している。一方で,関式サロン露出計の発売元である玄光社が発行する書籍で,1954(昭和29)年2月10日発行の「密着の実技」(田辺良雄)(*1)に掲載されている広告では,まだUB型が紹介されている。これらのことからは,「関式サロン露出計VA」の発売時期は,1954年4月ころと考えられる。
*1 「密着の実技」(田部良雄,玄光社,1954年) (国立国会図書館デジタルコレクション)
→https://dl.ndl.go.jp/pid/2466657/1/62