1975年に発売されたマミヤM645は,「マミヤが世界で初めて完成したセミ判(6×4.5判)一眼レフ。」(日本カメラショー「カメラ総合カタログ vo.54,1975年)と称していた。昭和初期に発売された,ドイツのPilot Superのように6×6判と6×4.5判兼用の一眼レフカメラが存在するので,「世界初のセミ判一眼レフ」は厳密には正確ではないが,セミ判専用でかつ「交換レンズ等のシステムが充実した一眼レフカメラ」という制約を設ければ,マミヤM645が世界初のものになるのだろう。厳密には「世界初のセミ判一眼レフカメラ」ではないとしても,スプリングカメラの時代以後,存在を忘れ去られていたようなセミ判を復権させ,その後にブロニカやペンタックスからもセミ判一眼レフカメラが発売されたことを鑑みれば,マミヤM645がカメラの世界に与えた影響は,とても大きなものだったと言えるだろう。 マミヤM645スーパーは,マミヤM645シリーズの3代目の機種となる。前の2機種にくらべ,さまざまな点が大きく改良されており,ファインダー,ファインダースクリーンややワインダーグリップなどは,マミヤM645スーパー用のものとそれ以前の機種用と,別々のものが用意されている。一方で,交換レンズなどは共用できるようになっている。とくに大きな改良点としては,フィルムホルダが交換式になった点をあげることができる。これによってフィルム交換を迅速におこなったり,種類の違うフィルムを併用したりできるようになり,撮影の幅が大きく広がることになった。
日本カメラショー「カメラ総合カタログ」では,マミヤM645スーパーはvol.85 (1986年)から掲載されている。前モデルのM645はvol.93 (1988年),M645 1000Sはvol.98 (1990年)まで,ともに掲載されていた。
マミヤM645スーパーは,それ以前の機種と同様に,フォーカルプレンシャッターになっている。同じくセミ判一眼レフカメラであるZENZA BRONICA ETRSがレンズシャッター式であることと,好対照である。
1975年に発売されたマミヤM645は,「マミヤが世界で初めて完成したセミ判(6×4.5判)一眼レフ。」(日本カメラショー「カメラ総合カタログ vo.54,1975年)と称していた。昭和初期に発売された,ドイツのPilot Superのように6×6判と6×4.5判兼用の一眼レフカメラが存在するので,「世界初のセミ判一眼レフ」は厳密には正確ではないが,セミ判専用でかつ「交換レンズ等のシステムが充実した一眼レフカメラ」という制約を設ければ,マミヤM645が世界初のものになるのだろう。厳密には「世界初のセミ判一眼レフカメラ」ではないとしても,スプリングカメラの時代以後,存在を忘れ去られていたようなセミ判を復権させ,その後にブロニカやペンタックスからもセミ判一眼レフカメラが発売されたことを鑑みれば,マミヤM645がカメラの世界に与えた影響は,とても大きなものだったと言えるだろう。
マミヤM645スーパーは,マミヤM645シリーズの3代目の機種となる。前の2機種にくらべ,さまざまな点が大きく改良されており,ファインダー,ファインダースクリーンややワインダーグリップなどは,マミヤM645スーパー用のものとそれ以前の機種用と,別々のものが用意されている。一方で,交換レンズなどは共用できるようになっている。とくに大きな改良点としては,フィルムホルダが交換式になった点をあげることができる。これによってフィルム交換を迅速におこなったり,種類の違うフィルムを併用したりできるようになり,撮影の幅が大きく広がることになった。
日本カメラショー「カメラ総合カタログ」では,マミヤM645スーパーはvol.85 (1986年)から掲載されている。前モデルのM645はvol.93 (1988年),M645 1000Sはvol.98 (1990年)まで,ともに掲載されていた。
マミヤM645スーパーは,それ以前の機種と同様に,フォーカルプレンシャッターになっている。同じくセミ判一眼レフカメラであるZENZA BRONICA ETRSがレンズシャッター式であることと,好対照である。