計算盤式露出計として有名なものに,関研究所が1980年代まで発売していた「セノガイド」というものがある。その前身は「関式サロン露出計」というもので,玄光社から発売されていた。最初に発売された1938年から,セノガイドに発展する1960年ころまでに少しずつ改訂が施され,同一モデル内のマイナーバージョンを含めると少なくとも10種類くらいに分類することができる。大きくは戦前から戦後にかけての「丸型」と,戦後の「角型」に分類できる。「丸型」はさらに,戦前のモデルと戦後のモデルとに分類でき,戦前のモデルも「初期型」と「新型」に分類できる。ここで紹介するものは,その最初のモデル「初期型」である。
この種の露出計は,基準となる光度に対して,天気や被写体の種類をあわせて,適切な露光を求めるようになっている。具体的には,裏面の表(ひょう)で撮影するとき(月,時)の「光度係数」を求め,使用するフィルムやフィルタによって係数を補正し,「光度」を求める。その後,表面の回転盤を操作して,フィルムの感光度と天気をあわせ,光度と被写体をあわせると,基準になるシャッター速度と絞りの組みあわせを読み取れるようになっている。
(例)4月の11時ころ,晴天のときに,DIN 21°のフィルムで明るい風景を撮る。
「関式サロン露出計」の広告は,アルスが発行していた雑誌「カメラ」では,1938年11月号から掲載されているのを確認できる。そして,「カメラ」1938年12月号の「カメラアナウンス」というコーナー(いわゆる新製品紹介のコーナー)で詳しく紹介されている(*1)。それによると,「レオ博士の有名な加算露出表を,三枚の回転盤上に配列したもの」というのが,その原理とのことである。フィルムの感度の表示として,DIN(ドイツ工業規格)のものを加えていることはよい点として評価されているが,NSG(日本写真学会)のものはどうでもよいというニュアンス(無害無益という表現が使われている)で扱われているあたりに,当時は舶来品に対する信仰のような雰囲気があったように感じられる。 「レオ博士」とは,大阪工業試験所に招聘されていたドイツ人の技師であるマックス・レオ氏をさしている。「さくら天然色フィルム」の発明者とされる西村龍介氏は,マックス・レオ氏のもとで,写真乳剤,乾板の研究にあたっていたとのことである。そして,マックス・レオ氏の「加算式係数露出表」は,たとえば「市販露出計の指示値とその実用性」(新井保男,アルス「カメラ」,1939年9月)で参照することができる(*2)。そのp.330から333にかけて掲載された「第1表」から「第5表」がマックス・レオ氏の「加算式係数露出表」とのことであり,この5つの表が1つの回転盤上にまとまっていると,たしかに便利そうである。
*1 アルス「カメラ」1938年12月号 (国立国会図書館デジタルコレクション) →https://dl.ndl.go.jp/pid/1501850/1/84
*2 アルス「カメラ」1939年9月号 (国立国会図書館デジタルコレクション) →https://dl.ndl.go.jp/pid/1501859/1/103
計算盤式露出計として有名なものに,関研究所が1980年代まで発売していた「セノガイド」というものがある。その前身は「関式サロン露出計」というもので,玄光社から発売されていた。最初に発売された1938年から,セノガイドに発展する1960年ころまでに少しずつ改訂が施され,同一モデル内のマイナーバージョンを含めると少なくとも10種類くらいに分類することができる。大きくは戦前から戦後にかけての「丸型」と,戦後の「角型」に分類できる。「丸型」はさらに,戦前のモデルと戦後のモデルとに分類でき,戦前のモデルも「初期型」と「新型」に分類できる。ここで紹介するものは,その最初のモデル「初期型」である。
この種の露出計は,基準となる光度に対して,天気や被写体の種類をあわせて,適切な露光を求めるようになっている。具体的には,裏面の表(ひょう)で撮影するとき(月,時)の「光度係数」を求め,使用するフィルムやフィルタによって係数を補正し,「光度」を求める。その後,表面の回転盤を操作して,フィルムの感光度と天気をあわせ,光度と被写体をあわせると,基準になるシャッター速度と絞りの組みあわせを読み取れるようになっている。
関式サロン露出計(初期型)の使い方
(例)4月の11時ころ,晴天のときに,DIN 21°のフィルムで明るい風景を撮る。
→フィルタによる補正をしない場合,この値がそのまま「光度」になる。
ここでは,4月の11時なので,光度は「1/2」となる。
ここでは,晴天の日に,DIN 21°のフィルムを使うものとする。
たとえば,「明るい街路」を裏面で求めた光度1/2にあわせた。
たとえば,絞りF11で,シャッター速度は1/100秒になる。
「関式サロン露出計」のおおまかな分類
「関式サロン露出計」の広告は,アルスが発行していた雑誌「カメラ」では,1938年11月号から掲載されているのを確認できる。そして,「カメラ」1938年12月号の「カメラアナウンス」というコーナー(いわゆる新製品紹介のコーナー)で詳しく紹介されている(*1)。それによると,「レオ博士の有名な加算露出表を,三枚の回転盤上に配列したもの」というのが,その原理とのことである。フィルムの感度の表示として,DIN(ドイツ工業規格)のものを加えていることはよい点として評価されているが,NSG(日本写真学会)のものはどうでもよいというニュアンス(無害無益という表現が使われている)で扱われているあたりに,当時は舶来品に対する信仰のような雰囲気があったように感じられる。
「レオ博士」とは,大阪工業試験所に招聘されていたドイツ人の技師であるマックス・レオ氏をさしている。「さくら天然色フィルム」の発明者とされる西村龍介氏は,マックス・レオ氏のもとで,写真乳剤,乾板の研究にあたっていたとのことである。そして,マックス・レオ氏の「加算式係数露出表」は,たとえば「市販露出計の指示値とその実用性」(新井保男,アルス「カメラ」,1939年9月)で参照することができる(*2)。そのp.330から333にかけて掲載された「第1表」から「第5表」がマックス・レオ氏の「加算式係数露出表」とのことであり,この5つの表が1つの回転盤上にまとまっていると,たしかに便利そうである。
*1 アルス「カメラ」1938年12月号 (国立国会図書館デジタルコレクション)
→https://dl.ndl.go.jp/pid/1501850/1/84
*2 アルス「カメラ」1939年9月号 (国立国会図書館デジタルコレクション)
→https://dl.ndl.go.jp/pid/1501859/1/103