1980年7月に発売されたMamiya ZEにはじまる,「ミラクルマウント」を採用した一眼レフカメラの4機種目となる。このカメラの発売後,1984年の大沢商会が倒産した影響を受けて,当時のマミヤ光機も連鎖倒産した。この後マミヤ光機は,中判カメラのみを扱うようになる。その結果Mamiya ZMは,マミヤとしてさいごの35mm判一眼レフカメラとなった。1961年の「マミヤ プリズマットNP」以来発売されてきた,「マミヤ」の35mm判一眼レフの歴史は,ここに終わったのである。 クロスオーバー機構をセールスポイントにしたマルチモードAE機Mamiya ZE-Xのつぎに発売された機種になるが,Mamiya ZMはマルチモードAE機ではなく,機能面では絞り優先AEとマニュアル露出だけのシンプルなものであった。1980年11月に発売されたMamiya ZE-2も,絞り優先AEとマニュアル露出のカメラであったが,Mamiya ZE-2のマニュアル露出モードでは露出計がはたらかないようになっていたのに対し,Mamiya ZMはマニュアル露出モードでもTTL露出計がはたらくようになっている。ボディの外装はプラスチックであるが,全体にMamiya ZE-2よりは頑丈に感じられるものになっている。マミヤとして最後の機種であるMamiya ZMに至ってようやく,マミヤの35mm判AE一眼レフカメラがじゅうぶんな完成度に達したのではないか,と言いたくなる。試作品ができていたとされるオートフォーカス一眼レフカメラMamiya ZFボディの見た目は,雑誌等に掲載された写真を見るかぎり,Mamiya ZMにとてもよく似ている。大沢商会の倒産という事件がなければ,このあとどう発展していただろうか。
先に発売されたMamiya ZEやMamiya ZE-2とは異なるデザインであるが,ワインダーなどのオプション品は,共通に使用可能である。
1980年7月に発売されたMamiya ZEにはじまる,「ミラクルマウント」を採用した一眼レフカメラの4機種目となる。このカメラの発売後,1984年の大沢商会が倒産した影響を受けて,当時のマミヤ光機も連鎖倒産した。この後マミヤ光機は,中判カメラのみを扱うようになる。その結果Mamiya ZMは,マミヤとしてさいごの35mm判一眼レフカメラとなった。1961年の「マミヤ プリズマットNP」以来発売されてきた,「マミヤ」の35mm判一眼レフの歴史は,ここに終わったのである。
クロスオーバー機構をセールスポイントにしたマルチモードAE機Mamiya ZE-Xのつぎに発売された機種になるが,Mamiya ZMはマルチモードAE機ではなく,機能面では絞り優先AEとマニュアル露出だけのシンプルなものであった。1980年11月に発売されたMamiya ZE-2も,絞り優先AEとマニュアル露出のカメラであったが,Mamiya ZE-2のマニュアル露出モードでは露出計がはたらかないようになっていたのに対し,Mamiya ZMはマニュアル露出モードでもTTL露出計がはたらくようになっている。ボディの外装はプラスチックであるが,全体にMamiya ZE-2よりは頑丈に感じられるものになっている。マミヤとして最後の機種であるMamiya ZMに至ってようやく,マミヤの35mm判AE一眼レフカメラがじゅうぶんな完成度に達したのではないか,と言いたくなる。試作品ができていたとされるオートフォーカス一眼レフカメラMamiya ZFボディの見た目は,雑誌等に掲載された写真を見るかぎり,Mamiya ZMにとてもよく似ている。大沢商会の倒産という事件がなければ,このあとどう発展していただろうか。
先に発売されたMamiya ZEやMamiya ZE-2とは異なるデザインであるが,ワインダーなどのオプション品は,共通に使用可能である。