マミヤプレスは,木製組立暗箱を除けば6×6判を越えるフォーマットに対応した国産カメラがまだほとんどなかった時代である,1960年9月に発売された。国産品としては貴重な,本格的プレスタイプの大型フォーマット用カメラとして登場した。開発にあたっては,「広範囲な使用目的の満足」「携行性の重視」「堅ろうで安価なこと」が目標にされていたようだ(近藤正直「マミヤプレスの機構と特徴」,「写真工業」1960年12月号)。実際に,堅牢性の実現については,ダイカスト製のボディを採用したことや,蛇腹の先にレンズを取りつけるような構造にせず,ヘリコイドを使ったピント合わせをおこなう機構にしたことにも反映されている。大型カメラでは一般的なアオリ機構を,後アオリだけに限定したことは,堅牢性の実現と,広範囲な使用目的の満足の両立を狙ったものと考えられる。バヨネットマウントでヘリコイドを使ったレンズと距離計連動ファインダーの組み合わせは,速写性を実現し,スナップ的な用途にも十分に対応できる。後部にピントグラスを取りつければ,後部アオリ撮影や,その機構を利用しての接写などにも対応できる。 発売当初,交換レンズは3本が用意されていた。標準レンズはMamiya-sekor 90mm F3.5で,後部アオリを利用した際にも無限遠にピントをあわせられるように,沈胴式になっている。長焦点レンズとしてMamiya-sekor 150mm F5.6が用意され,ボディのファインダーにあるレバーを引いてマスクを出して使用する。広角レンズとしてMamiya-sekor 65mm F6.3が用意され,専用ファインダーをアクセサリシューに取りつけて使用する。150mmレンズ,65mmレンズは,沈胴式になっていない。 後に発売されるアクセサリの多くが使用できるが,Mamiya-sekor 75mm F5.6やMamiya-sekor 250mm F5など,「ユニバーサルおよびスーパー23専用」とされているレンズもある。
マミヤプレスは,木製組立暗箱を除けば6×6判を越えるフォーマットに対応した国産カメラがまだほとんどなかった時代である,1960年9月に発売された。国産品としては貴重な,本格的プレスタイプの大型フォーマット用カメラとして登場した。開発にあたっては,「広範囲な使用目的の満足」「携行性の重視」「堅ろうで安価なこと」が目標にされていたようだ(近藤正直「マミヤプレスの機構と特徴」,「写真工業」1960年12月号)。実際に,堅牢性の実現については,ダイカスト製のボディを採用したことや,蛇腹の先にレンズを取りつけるような構造にせず,ヘリコイドを使ったピント合わせをおこなう機構にしたことにも反映されている。大型カメラでは一般的なアオリ機構を,後アオリだけに限定したことは,堅牢性の実現と,広範囲な使用目的の満足の両立を狙ったものと考えられる。バヨネットマウントでヘリコイドを使ったレンズと距離計連動ファインダーの組み合わせは,速写性を実現し,スナップ的な用途にも十分に対応できる。後部にピントグラスを取りつければ,後部アオリ撮影や,その機構を利用しての接写などにも対応できる。
発売当初,交換レンズは3本が用意されていた。標準レンズはMamiya-sekor 90mm F3.5で,後部アオリを利用した際にも無限遠にピントをあわせられるように,沈胴式になっている。長焦点レンズとしてMamiya-sekor 150mm F5.6が用意され,ボディのファインダーにあるレバーを引いてマスクを出して使用する。広角レンズとしてMamiya-sekor 65mm F6.3が用意され,専用ファインダーをアクセサリシューに取りつけて使用する。150mmレンズ,65mmレンズは,沈胴式になっていない。
後に発売されるアクセサリの多くが使用できるが,Mamiya-sekor 75mm F5.6やMamiya-sekor 250mm F5など,「ユニバーサルおよびスーパー23専用」とされているレンズもある。