第二次世界大戦後の日本では,数多くの安価な二眼レフカメラが製造された。そのような二眼レフカメラは,ピント調整の機構の違いに着目して,「レンズボード繰出式」と「前玉回転式」に分類できる。前玉回転式は,まさに部品の寄せ集めでつくられそうなカメラであり,おもに廉価版カメラによく見られたものである。1954年に発売された「ヤシカフレックスA」はレンズボード操出式でありながら,前玉回転式カメラ並みの低価格(¥9,500)で発売されて話題になった。それに続いて発売されたこの「ビューティフレックスT」は,「レンズボード操出式」に加えて「1秒」のスローシャッターをもつ高機能機でありつつ,「ヤシカフレックスA」と同価格(¥9,500)で発売されたものである。前年(1953年)に発売された前玉回転式の廉価モデルである「ビューティフレックスV」が¥9,800だった(発売当初は¥13,500であり,価格競争の中で値下げされている)ことを鑑みれば,「ビューティフレックスT」の¥9,500という価格は,まさに「価格破壊」だったのである。「ヤシカフレックスA」や「ビューティフレックスT」などによる価格破壊は,多くのメーカーが二眼レフカメラの製造から撤退するきっかけになったとされている。
なお,太陽堂光機の母体となるカメラ店「太陽堂」は2013年6月末をもって閉店となる。
第二次世界大戦後の日本では,数多くの安価な二眼レフカメラが製造された。そのような二眼レフカメラは,ピント調整の機構の違いに着目して,「レンズボード繰出式」と「前玉回転式」に分類できる。前玉回転式は,まさに部品の寄せ集めでつくられそうなカメラであり,おもに廉価版カメラによく見られたものである。1954年に発売された「ヤシカフレックスA」はレンズボード操出式でありながら,前玉回転式カメラ並みの低価格(¥9,500)で発売されて話題になった。それに続いて発売されたこの「ビューティフレックスT」は,「レンズボード操出式」に加えて「1秒」のスローシャッターをもつ高機能機でありつつ,「ヤシカフレックスA」と同価格(¥9,500)で発売されたものである。前年(1953年)に発売された前玉回転式の廉価モデルである「ビューティフレックスV」が¥9,800だった(発売当初は¥13,500であり,価格競争の中で値下げされている)ことを鑑みれば,「ビューティフレックスT」の¥9,500という価格は,まさに「価格破壊」だったのである。「ヤシカフレックスA」や「ビューティフレックスT」などによる価格破壊は,多くのメーカーが二眼レフカメラの製造から撤退するきっかけになったとされている。
なお,太陽堂光機の母体となるカメラ店「太陽堂」は2013年6月末をもって閉店となる。