リコー

MIRAI (ミライ)

RICOH / MIRAI

 ズームレンズ一体型の一眼レフカメラである。この種のカメラの元祖は,ニコン「NIKKOREX Zoom35」(1963年)であると言えるが,当時はまだ標準ズームレンズというものが一般的ではなく,同種のカメラが他社からも発売されるようなことはなかった。1980年代後半になって,コンパクトカメラにもズームレンズが搭載されるようになるとともに,ふたたびズームレンズ一体型の一眼レフカメラが登場するようになった。1985年のミノルタ「α-7000」登場をきっかけに,それまで低調だった一眼レフカメラの販売が増えてきたとされるが,ズームレンズ一体型一眼レフカメラは,それに対するコンパクトカメラ陣営の反撃なのか?あるいは,コンパクトカメラユーザを,本格的一眼レフカメラに誘導するためのきっかけとして考えられたものなのか?この時期,京セラ「SAMURAI」やチノン「GENESIS」なども登場し,ズームレンズ一体型のフルオート一眼レフカメラのブームが巻き起こったのである。
 リコー「MIRAI」は,角度を変えられるグリップ,平べったい印象のフォルムなどの特徴的な外観を示す。レンズ交換ができないカメラなためか,最廉価版の一眼レフカメラ用ズームレンズよりも1ランク上といえる,35-135mmのズームレンズを搭載し,マクロモードでは0.49mまでの近接撮影も可能となっている。シャッター速度のレンジも広く,2コマ/秒の連写も可能で,内蔵スピードライトは比較的大きなGN15(ISO100)である。
 エントリーモデルのフルオート一眼レフカメラとして考えれば,必要な機能・性能は十分にもっていると言えるだろう。一般的な撮影であれば,これだけでほとんどの領域をカバーできると思われるが,マニュアル操作についてはほとんど考えられておらず,拡張性も乏しいこと,また,その重量なども考えれば,きわめて中途半端な性格のカメラであると言える。これは,この種のカメラ(「ブリッジカメラ」「ニューコンセプトカメラ」等の呼び名も存在したようだ)の宿命と言えることかもしれない。結局,あとが続かなかったことから,このブームは一過性だったというべきか?あるいはメーカー側の一方的なブームだったというべきか?

 実際に撮影に使ってみると,AFの反応はこの時代のカメラとしては十分だと言えるだろう。シャッターレリーズボタンの手前にあるボタンでプログラムシフトが可能だが,ボタンが小さく,慣れないうちはボタンをさがしてしまう。プログラムシフトは,すばやくできなければ意味がないと思う。マニュアルフォーカスは,底面のスイッチを「M」に切り替え,さらにボディ横の「MF」ボタンを押してズームレバーを操作しておこなう。マクロモードのときのピント調整はマニュアルとなり,そのままズームレバーを操作しておこなう(マクロモードのときは,中望遠域に焦点距離が固定される)。カメラ上面には大きな液晶パネルがあるが,ここに表示されるのは,バッテリ,フィルムカウンタ,ズームレンズの焦点距離,測距結果である。一方,ファインダー内には,シャッター速度,絞り値,フラッシュチャージ,マクロモードの表示がされる。
 フルオートで使うことを前提にすれば,決して使いにくいカメラというわけではない。しかし,とにかく重いカメラである。フルオートでの撮影だけのためにこの重さには耐えられないということか?結局,あらゆる面での中途半端さが災いしたのであろう。

RICOH MIRAI, No. 47 116618
レンズRICOH ZOOM 35mm-135mm F4.2-5.6
シャッター電子制御縦走金属幕スピードライト同調1/100
シャッター速度B,32〜1/2000
露出計TTL開放測光(自動逆光補正,中央部重点平均測光)露出モードプログラムAE(オートプログラムシフト4種,マニュアルプログラムシフト)
発売1988年

RICOH MIRAI, RICOH ZOOM 35mm-135mm F4.2-5.6, DNP CENTURIA 100

マクロモードにすると,中望遠域(85mm相当?)において,0.49mまでの近接撮影が可能となる。これは,ほぼ最短撮影距離において,絞り開放で撮影したもの。廉価版ズームレンズらしい二線ボケの傾向が見られる。また,周辺減光は顕著なようで,最周辺部の描写は問題がありそうである。ボケた部分への移行がなめらかに感じられる点は,好ましい結果につながりそうである。

RICOH MIRAI, RICOH ZOOM 35mm-135mm F4.2-5.6, DNP CENTURIA 100

広角域で遠景を撮影した場合である。多少絞りこまれた状態であるが,周辺減光や周辺部の描写の乱れ等は,隠せないようである。